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2024年9月2日 : 書と私
師範 小林奈々佳
私が書道を始めたのは5歳の頃でした。どんな出来でも先生はどこか必ず褒めてくださり、うれしくてお稽古に通いました。小学生になると書ける文字も増え、一生懸命お稽古に通えばどんどん昇級していくのが面白かったです。負けず嫌いな性格だったので自分の納得いく作品が書けないととても悔しく、でも"次こそは上手に書きたい"という気持ちが社会人になっても書道を続けている理由の一つです。
私生活が忙しくなかなか三体作品を揃えられずにいた私に、先生は「出産前までに師範を目指そう」と声をかけてくださいました。師範だなんてまだまだ先のことだと考えていましたが、先生の言葉で目指そうと思いました。結局娘との対面が先で、次の試験での合格になりましたが、子育てをする中での書道は自分の中の何かが整うようで大切な時間になっています。
これまで以上に書くことが好きになった今、たまに書いてみる子供たちの課題が意外と難しく、自分はまだまだだと実感します。憧れはどんな書体でも、どんな文字でもすらすら書ける市川先生。これからも御指導いただきながら、書くことを楽しんで続けていきたいです。
2024年7月5日 : 書と私
師範 長谷川麗洋
一本の線を書く。
大人になって再開した書道で、その難しさとおもしろさを感じています。
子供の頃は字の形に意識が向いていたけれど、今は文字を形作る線にも意識が向くようになりました。
お稽古で先生がよくおっしゃるのは「力を抜く。そうすれば筆は勝手についてくる」というものです。
そうおっしゃる先生の手元を見れば、筆はなめらかに動いて線の太さも強弱も自由自在。見ているだけで気持ちいいです。
私もそんな風に書けたらとやってみますが、頭では分かっていてもつい力が入ってしまい、思うように書けません。
それでも時々、「あ、筆が動いてる」と感じられることがあります。そういう時は書いていてなんのひっかかりもなく、気持ちいい。でも、どうして書けたのかちゃんと分かっていないから、再現ができません。まだ偶然頼みの実力です。
これが自然とできるようになったら、もっと書くことの楽しさを感じられるようになるのだろうなと思います。長く続けて、できるようになったこと、今だにできないことたくさんあります。
ただ、今も昔も変わらないのは、書くことが好きという気持ちです。
思うようにはなかなかできないけれど、一生勉強し続けられるものと出会えたことはかけがえのないことと思い、これからも書道を楽しんでいけたらなと思います。
2024年4月28日 : 書と私
師範 都築諒
私の書道との出会いは5歳の頃、姉の書道教室について行った時です。たしか最初に書いたのは「ー」と「○」。先生から花丸が貰えるのがとても嬉しかったのを覚えています。それから気がつけば高校生まで通い続けていましたが、あくまでも習い事という感じで、細々と続けていただけでした。
そんな気持ちが変わったのは大学生の頃。なんとなく入部した書道部で出会ったのは、全国大会に向け一心不乱に作品製作に取り組む先輩方の姿でした。「あんな作品が書いてみたい」と思ったのは初めてで、その後の大きな原動力になりました。それから大会期間中は毎日のように(講義を少し疎かにして…)、朝から夜まで紙に向かいました。うまく書けた時、書けなかった時、その一喜一憂の中にも間違いなく楽しいという感情がありました。私が何かに打ち込むことの楽しさに気付いたのはこの経験からかもしれません。それから、書道パフォーマンスやワークショップなどの活動にも参加し、さらに書道の魅力に惹かれていきました。
時は過ぎ、気付けば社会人になっても書道を続けているという事実に驚いていますが、いまだに書道が好きな気持ちは変わりません。私にとって書道は、たまたま続けていたものでしたが、もしかしたら今後生涯の趣味になるかもしれないと思うと、たまたまでも、続けていて良かったなと思っています。
2024年3月30日 : 書と私
師範 藤原史子
私が小学生だった頃、習い事といえば、そろばん?習字でした。何でもやりたがりの私は、ピアノも習いたかったのですが、母子家庭でしたので、手間や費用の面でピアノは諦めて、そろばん・習字に通わせてもらいました。それで充分満足し、どちらも好きでした。好きと言うのは、長続きする要因で、書道は、高校生までは何かと携わっていました。そして子育てが一段落し、自分のための時間がとれそうな思いから、また書道を始めようと、友人に市川先生を紹介してもらい教わっています。今では、私と娘と孫の3代で、お世話になっていて、嬉しい限りです。書道は、一人で、都合の良い時間に、家の中で出来るのも魅力です。今後、仕事をリタイアしたら、書に関する興味のあるものを見つけて、色々な所に出掛けようかなとワクワクしてます。
[継続は力なり]
書道を続ける事でできた縁を大切に、これからもせっっせと通います。
2024年3月1日 : 書と私
師範 櫻町泰山
私が書道を始めたのは58歳のときだった。Facebookで公表すると、「いいね」がいくつかついたが、「先生は美人か?」という下種な勘繰りを入れる輩もいた。確かにこの歳で書道を始めるというのは少し不思議な事なのかもしれない。
それまでの私の趣味は、乗馬、ゴルフに登山とアウトドア指向だった。しかしこれらは、腰椎ヘルニア、頸椎ヘルニア、そして狭心症の発症など、悉く体の不具合で中止を余儀なくされた。そんなとき「あなたも書道をやりなさい」と声をかけたのは母だった。母は50過ぎから書道を始め、30年以上続けていた。確かに、体のどこが痛くても筆くらいは持てそうだ。実用的でもあるし、芸術としても奥が深い。そして小杉先生の教室が自宅から徒歩2分という幸運!これだけの好条件が重なれば、これは神の思し召し。勇気を出して戸を叩くことにした。
書道を始めてから、ときどきその成果を母に見せに行った。当初はボロクソに貶されたが、ある時からときどき褒めてくれるようになった。書展に一緒に行ったり、彼女の書道自慢話を聞くこともできた。そんな母が一年ほど前に他界した。母の部屋を整理すると、書道の本がたくさん出てきたので、役に立ちそうなものを数冊頂いた。遺品を受け継げたことで、少し親孝行ができた気がしている。
昇段試験には、根気よく作品を提出して挑戦した。結構とんとん拍子に昇段したので少し甘く見ていたが、さすがに師範の壁は高かった。繰り返し貰う「不合格」にめげずに続けて、昨年やっと師範合格を頂いた。それはちょうど母が逝った直後の昇段試験だったのには、何か因縁を感じてしまう。
「何で書道を?」と聞かれることがある。「いつまで続けるのか」と自問することもある。まだ答えはないが最近思うのは、私は字を書くのが好きなようだ、と言う事。「好きこそものの上手なれ」という言葉を頼りに粛々と続けたいと思っている。始めた頃小杉先生に「どうしたら手が震えずに書けますか」と聞いて、「慣れですね」と軽くあしらわれたが、そういえば最近、筆の震えが減ってきたような気がする。少しは「慣れ」たのだろうか。何かができるようになるのは実に楽しい、そう感じる今日この頃である。