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2024年3月30日 : 書と私
師範 藤原史子
私が小学生だった頃、習い事といえば、そろばん?習字でした。何でもやりたがりの私は、ピアノも習いたかったのですが、母子家庭でしたので、手間や費用の面でピアノは諦めて、そろばん・習字に通わせてもらいました。それで充分満足し、どちらも好きでした。好きと言うのは、長続きする要因で、書道は、高校生までは何かと携わっていました。そして子育てが一段落し、自分のための時間がとれそうな思いから、また書道を始めようと、友人に市川先生を紹介してもらい教わっています。今では、私と娘と孫の3代で、お世話になっていて、嬉しい限りです。書道は、一人で、都合の良い時間に、家の中で出来るのも魅力です。今後、仕事をリタイアしたら、書に関する興味のあるものを見つけて、色々な所に出掛けようかなとワクワクしてます。
[継続は力なり]
書道を続ける事でできた縁を大切に、これからもせっっせと通います。
2024年3月1日 : 書と私
師範 櫻町泰山
私が書道を始めたのは58歳のときだった。Facebookで公表すると、「いいね」がいくつかついたが、「先生は美人か?」という下種な勘繰りを入れる輩もいた。確かにこの歳で書道を始めるというのは少し不思議な事なのかもしれない。
それまでの私の趣味は、乗馬、ゴルフに登山とアウトドア指向だった。しかしこれらは、腰椎ヘルニア、頸椎ヘルニア、そして狭心症の発症など、悉く体の不具合で中止を余儀なくされた。そんなとき「あなたも書道をやりなさい」と声をかけたのは母だった。母は50過ぎから書道を始め、30年以上続けていた。確かに、体のどこが痛くても筆くらいは持てそうだ。実用的でもあるし、芸術としても奥が深い。そして小杉先生の教室が自宅から徒歩2分という幸運!これだけの好条件が重なれば、これは神の思し召し。勇気を出して戸を叩くことにした。
書道を始めてから、ときどきその成果を母に見せに行った。当初はボロクソに貶されたが、ある時からときどき褒めてくれるようになった。書展に一緒に行ったり、彼女の書道自慢話を聞くこともできた。そんな母が一年ほど前に他界した。母の部屋を整理すると、書道の本がたくさん出てきたので、役に立ちそうなものを数冊頂いた。遺品を受け継げたことで、少し親孝行ができた気がしている。
昇段試験には、根気よく作品を提出して挑戦した。結構とんとん拍子に昇段したので少し甘く見ていたが、さすがに師範の壁は高かった。繰り返し貰う「不合格」にめげずに続けて、昨年やっと師範合格を頂いた。それはちょうど母が逝った直後の昇段試験だったのには、何か因縁を感じてしまう。
「何で書道を?」と聞かれることがある。「いつまで続けるのか」と自問することもある。まだ答えはないが最近思うのは、私は字を書くのが好きなようだ、と言う事。「好きこそものの上手なれ」という言葉を頼りに粛々と続けたいと思っている。始めた頃小杉先生に「どうしたら手が震えずに書けますか」と聞いて、「慣れですね」と軽くあしらわれたが、そういえば最近、筆の震えが減ってきたような気がする。少しは「慣れ」たのだろうか。何かができるようになるのは実に楽しい、そう感じる今日この頃である。
2024年1月30日 : 第76回静岡県書きぞめ展

県知事賞(最高賞) 静岡県立浜北西高等学校 3年 中川姫芽奈

県知事賞(最高賞) 浜松学芸高等学校 2年 昇美優亜

審査員特別賞(最高賞) 聖隷クリストファー高等学校1年 大高陽菜多
当会の高校生が各学年の最高賞を受賞しました。日頃の鍛錬の賜物です。まことにおめでとうございます。
2024年1月28日 : 書と私
師範 大田晃司
僕が書道教室に通い始めたのは11年前の夏、7月の初めだったと思います。
それ以前は師匠となる晃彩先生のことを
「明美ちゃん」と呼ばせて頂いていたのを覚えています。
まだその頃は書道を習う事になるとは
全く思いもしていませんでした。
とある日、
明美ちゃんと話していると、ハッとする言葉を彼女が言われたときがありました。
その時のやり取り、特に明美ちゃんの僕の問いに答えられた言葉は今だによく覚えています。
その時、
「僕はこの方から何らかを受け継ぎたい」と思いました。
さて、どうしたらそれが出来るのか?
そうだ!
明美ちゃんは書道の先生の様だ。
僕は書道を通じてそれを学ぶこと、受け継ぐことが出来る。
そう思いました。
実際のところ僕にとっては書道でもいけばなでも絵の教室でも何でもよかったのです。
結局、次の日に教室を見学させて頂き、
その場で入門する事を決めたのを思い出します。
それから早、11年。
実際のところは書くこと、練習することよりも、
自分が書くため、練習するために幾つもの課題を乗り越えなければならなかった11年だったと感じています。
それを先生は温かく、時には突き放しながら
よく11年もこんな僕を導いてくれたなぁ
と今、感じています。
去年の暮れに細字の師範合格の知らせを
先生から頂きました。
唐突なことで驚きました。
嬉しいことでした。
晃彩先生はじめ、
同じ教室で一緒に書いてくれる先輩方、
そしていつも教えられ、頭の下がる思いがする、僕より後に入門された仲間の方々。
いつも僕を支えてくれた
友人達に感謝です。
2023年12月20日 : 書と私
師範 村松秋波
私の祖父はとても字が上手な人でした。
どこかで習ったわけではなく元々上手だったそうです。
私の実家は空手の道場で、そこの壁には道場生の名前を書いた小さい木札を備えてありました。
その木札に名前を書くのはもちろん祖父です。
私が初めて触れた「書」は祖父が書いたその木札です。
子供でも「すごく字が上手」と思わせる、とても綺麗で整った字でした。
私は小学校低学年から書道教室へ通い始めました。小学校中学校と通っているうちに、祖父の字を見てただ「上手だなー」から「あんな感じに書けたらいいな」と思うようになりました。
祖父の字は「静かな中にも力強さを感じる字」でした。普段はとても穏やかながら、時としてとても頑固な一面もある祖父自身を表したような字。まさに「字は体を表す」という感じでした。
改めて私はどんな字を書きたくてどんな字が好きなんだろうと考えた時に、やはり祖父のような字でした。
小杉先生に師事し師範になった今、習字から脱却した書道を目指して、古典も学びながら自分の憧れる字「静かな中にも力強さを感じる字」を書けるよう日々精進していきたいと思っています。が、小杉先生からは「墨量が足りない」と常々ご指導をいただくので、まだまだ程遠いのですが…。
そしてもう一つできた目標「書道教室開講」
小杉先生のように「書は楽しいもの」だと子供はもちろん大人にも伝えられるような先生を目指すべく、小杉先生、これからも温かくユーモアのあるご指導ご鞭撻をお願いいたします。
「書」についての私の夢と想い。
亡き祖父が書いてくれた、私の名前が記された木札を眺めながら、私の子供にも伝えてみようかな…。
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